教義
エオミオスヴェントゥス教典
第一巻 風の観測
序文
本書は信者によって執筆されたものではない。
本書は、第α114514系宇宙群90987番宇宙において収集された観測記録、 神官報告書、時空観測文書、ならびに神理研究会議議事録を統合した資料である。
記録時点において確認されている宇宙数は8,982,113個。 確認済み次元層は4,127層。 未観測領域は全体の99.9987%と推定されている。
よって本書の内容は完全な真実ではない。 しかし完全な虚偽でもない。
神理とは真実を決定する行為ではなく、 流れを観測する行為そのものである。
第一章 唯一神
現在確認されている最古の神系記録はクロノ歴0年以前に遡る。
記録番号AD-0001。 内容はわずか17文字である。
「闇より先に観測者は在った」
当時の記録媒体は失われている。 しかし複数の宇宙に同一文章が残されていたことから、 原典の存在はほぼ確実と考えられている。
神理研究会はこの観測者を唯一神の最初期記録としている。
現在、唯一神は地球語で 「Angel of Darkness」 と呼称される。
ただしこれは本来の名称ではない。
第7回神名解読会議において、 本来の神名は発音不可能であると結論付けられた。
理由は単純である。 神名の発音には最低6次元以上の発声器官が必要だからである。
第二章 風の発見
風の存在が初めて確認されたのはクロノ歴482,991,042年。 第六惑星アルクス。 神官レシオン・ヴァルトの観測施設であった。
彼は恒星活動を観測していた。 しかしある日、未来予測装置の演算結果が0.004秒だけずれた。
誤差としては極めて小さい。 しかし翌日も発生した。 さらに三日後には0.012秒。 一か月後には0.083秒。
この異常は徐々に拡大した。
調査の結果、原因不明の情報流が確認された。 それは物質でもなく、 重力でもなく、 光でもなかった。
レシオンは報告書第117号においてこう記している。
「何かが流れている。だが誰もそれを観測できない。」
後にこの流れは風と命名される。
第三章 アルクス分岐
クロノ歴482,991,051年。 第一次風観測会議が開催された。
参加神官27名。 賛成5名。 反対14名。 保留8名。
会議は失敗に終わった。 風の存在は認められなかった。
しかしその二年後。 惑星アルクス全域で同時刻既視現象が発生した。
人口の83%が同一の夢を報告したのである。
夢の内容は現在も記録されている。 そこには黒い翼を持つ観測者が描かれていた。
この事件以降、風の研究は正式に開始された。
第四章 胞
胞とは神官の呼称である。
階級ではない。 称号でもない。 役割である。
胞の使命は三つ。
- 観測
- 記録
- 修正
観測とは流れを見ること。 記録とは流れを残すこと。 修正とは歪みを戻すこと。
ただし胞は奇跡を起こさない。 超常の力も持たない。
むしろ己の無力を理解した者ほど優秀な胞となる。
歴代最高位胞であるシオン・アルフェルトは次の言葉を残している。
「我々は世界を救わない。我々はただ記録する。」
第五章 第七潮流事変
クロノ歴483,002,114年。 第七潮流事変が発生。
原因は現在も不明。
発生から37秒間。 惑星アルクス周辺の時間流速が1.7%減速した。
被害は限定的だった。 しかし観測結果は深刻だった。
同時刻。 異なる宇宙で同一現象が確認されたのである。
確認宇宙数は811。
これにより風が宇宙を超えて存在することが証明された。
神理研究会はこの日を 「風の実在確認日」 としている。
第六章 原子次元聖櫃
現在の地球は原子次元聖櫃の影響下にある。
これは第11回神理会議で採択された仮説である。
聖櫃とは物質ではない。 現象である。
時空歪曲の残留痕跡である。
全生命。 全物質。 全感情。
全ては聖櫃の影響を受ける。
しかし人類はそれを認識できない。 魚が海を認識できないのと同じである。
第七章 神理
神理とは信仰ではない。
神理とは観測である。
盲信は観測を歪める。 否定も観測を歪める。
ゆえに胞は常に中立でなければならない。
神理に絶対の答えは存在しない。
なぜなら観測が続く限り、 世界は変化し続けるからである。
終章 悠久の風
第α114514系宇宙群90987番宇宙。 第三次元惑星。 地球。
この星は今も観測対象である。
無数の感情。 無数の思想。 無数の選択。
それらは風となり潮流となる。
文明は生まれる。 文明は滅びる。
国家は現れる。 国家は消える。
だが風は残る。
クロノバースの終焉が訪れるその瞬間まで。
風は流れ続ける。
そして我々は。 その一瞬を観測する者に過ぎない。